ちょっと最近、時間の流れが速すぎる

日々の雑談や本の感想などを書いていきます。

本屋の本棚にある本って、やたらと面白そうに見える

 

昨日、カラオケの後に本屋へ立ち寄ったんだけど、そこでついつい本を買ってしまった。

養老孟司『身体巡礼』、円城塔『Boy's Surface』、芦辺拓『奇譚を売る店』の三冊。

特に『身体巡礼』の帯に書かれた

「心臓だけを別に埋葬する奇習、骸骨堂、旧ゲットーのユダヤ人墓地……。ヨーロッパの長い歴史は無数の死者の埋葬と共にある」

っていうコピーがむちゃくちゃ気に入ってしまった。

何だろうこのワクワクする気分。

 

そう言えば日本ではあんまり死体や骨が残っているという話を聞かないような気がする。

土中に埋葬されているのが発掘されることはあるけど、それが一般に公開されているっていう話はあまり聞かない。

自分が無知なだけということかもしれないが。

ひょっとしたら気候の違いが関係してるのかも?

それにキリスト教圏では腐敗しない死体を奇跡と考えた聖人信仰があったりするから、日本に比べると死体そのものに対する嫌悪感が無いのかもなあ。

 

ともかく、本屋に入った時点では何も買う気が無かったのだけど、本棚に陳列された本を眺めているとついつい手を伸ばしてしまう。

そして一冊、二冊と手に抱える本の冊数が増えていき、遂にはそれらを買ってしまう。

なんとも不思議なものだ。

本屋の陳列を考える書店員の人達ってすげえなあと思わざるを得ない。

 

それにやっぱり、まだ自分が読んだことない本は全て面白そうに見える傾向がありそうだとも思う。

最近は「知らない、わからない」ってとても贅沢なことなんじゃないかなあという気がしていて、何もかもがわかってしまった状態はすごくつまらないだろうと感じる。

何もかもがわかるっていうのはある意味で悟りを開いた状態と似てるのかもしれないけど、それは穏やかでありこそすれど、あまり楽しくもなさそうだ。

だからついつい知らない本に手を伸ばして、懐を寂しくさせているわけだけど。

それくらいの楽しみは、死ぬまで持っていたいなあ。

 

社会人のカラオケが怖い

 

今日久しぶりに友人たちとカラオケに行ったんだけど、この友人たちが本当に気を使わなくていいから楽。

そりゃあ少しは他の人が知ってそうな曲、たとえばアジカンとかサカナクションとかも歌ったりするけど、ほとんどは自分の歌いたいものばっかり歌っている。

THE PINBALLS にBLOC PARTY. にかせきさいだあ、たぶんみんなわかってないけどそれでも不満そうな顔をしたりしないのでありがたい。

いや、アジカンサカナクションも普通に好きだけどね。

それにもちろん、友人たちもそれぞれで自分の好きな歌ばっかり歌っているからお互いさまだ。

 

これが社会人になって、会社の人達とカラオケに行くとなったらどうなるのかと、今更ながら少し怖いところがある。

あれか、やっぱり先輩やら上司やらの年代に合わせた歌しか歌っちゃいけないのか?

Number Girl とかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTTHE BLUE HEARTS くらいならなんとかなるけど、それ以外は無理。

もっと遡るとはっぴいえんどの「風をあつめて」かさだまさしの「精霊流し」くらいしか歌えない。

精霊流し」なんかカラオケで歌ったらすさまじい空気になりそうで、それはそれで怖いし。

会社のカラオケでもそんなに気を使わなくていいもんなのかな?

だったら自分のように歌える曲のレパートリーが偏ってる人間でも、少しはカラオケに行ってみようという気分になるんだけど。

 

ていうかこんなこと気にするよりも、残業時間とか有給の取りやすさとか気にしたほうがいいんだろうなあ。

なんか気にする場所が間違っている。

これはあれか、大学生気分が抜けてないっていうやつか。

まあ今のうちはまだ大学生だし、これくらいは許してほしい。

 

大学生のうちにもっと親からお金貰っておけばよかったよ

社会人になってもそんなにお金使わない?

自分はこの四月から会社員として働くことになるわけだけど、就職した部活の先輩から話を聞く限り、社会人はあんまりお金を使う機会が無いらしい。

そりゃあ毎日飲み歩いてるだとかブランドものに凝ってるだとか、そういう人間にとってはお金はいくらあっても足りないだろうけど。

話を聞いた先輩はあんまり人づきあいが活発な方ではないし、飲み歩く趣味もブランド趣味も無い、基本的に家の中でやれるゲームだとか読書を趣味にしている。

自分もどちらかと言うとそういうタイプなので(むしろその先輩よりも人づきあいがなくて、食べ物も質素だ)、きっとあんまりお金を使う機会が無くて何となく預金残高が増えていく気がする。

 

だったらその分のお金を今使いたい。

未来の自分から前借りできたら、今の自分の生活レベルが格段に向上するだろう。

欲しい本やCD、漫画をもっと心置きなく変えることだろう。

というかまずはそれらを収納する本棚を買いたい。

 

親から借りればよかった

ここまで考えて、やっぱり見出しのような結論に至る。

未来の自分が無理なら、親から借りるしかない。

消費者金融なんかは利息が高いから論外だけど、親なら無利子でも必死で頼み込めばどうにかなるだろう。

それが今までの大学生活で、もらった仕送りが家賃光熱費諸々含めてか1か月10万円×4年弱。

せめてあと5万円あれば、もう少し文化的な生活が出来ただろうに・・・。

 

これを親から借りた分だとしても、5万円×4年で240万円。

まあ社会人なら10年もすれば無理なく返済できるだろうし、ボーナスで払えばもっと早く返せる。

引き換えに裕福な大学生活が満喫できるのだから、安いもんだろうという気がする。

 

バイトしろとかいう意見は黙殺。

バイトするのが嫌だということを大前提にしているから、こういう話になっている。

だってどうせ大学卒業したら働くんだから、大学生のうちくらいはなるべくバイトしたくない。

そりゃあ少しはしたけど、どれも長続きしなかった。

 

結局、今更後悔しても遅いけれど、毎月5万円ずつ親から借金していれば仕送り10万円+5万円で15万円。

これだけあれば、ほんの少しもバイトする必要なんかなかったのに・・・。

引っ越し屋でヤンキーみたいな社員に怒鳴られることも、早起きできずに仕分けのバイトをバックレることもなかったのだと思うと、後悔の念は止まない。

 

せめてこの最後の春休みは10万円ほど借りておこうと心に決めた。