ちょっと最近、時間の流れが速すぎる

日々の雑談や本の感想などを書いていきます。

年越しの作法について


新年が明けたからめでたいなんて短絡的にすぎて、思いやりに欠けると思うのは自分だけじゃないだろう。

電通のお偉いさんとか、成宮くんあたりに「あけましておめでとう」なんて言ったら殴られるんじゃなかろうか。

そこら辺の人は新年になったからと言って、めでたくもなんともないに違いない。

それでも日本人だからついつい言ってしまうのだ、「あけましておめでとう」って。


この時期は多くの人が実家に帰省して、家族で年越ししてるんだろうか。

わざわざこの混む時期に帰省せずに、もっと道路や新幹線が空いてから帰るという人もいるだろう。

友人と初詣に行くとか、カウントダウンパーティーに繰り出すって人も多いのか。

ともかく、その家族もしくは個人それぞれに、年越しの作法がある。


年越しの作法というのはその人が年越しの際にどんなテレビを観るのか、何を食べるのか、誰と居るのかっていう習慣みたいなものだ。

これは他の人からは容易にうかがい知ることができない、その人のとてもパーソナルな部分だと思う。

赤の他人に話すようなことでもないし、家族と過ごす人が多いから親しい友人でもわからないことが多い。


自分は父と一緒に父方の祖父母の家で年越しをする。

テレビには一応紅白が映ってるけど、自分も父も祖父母も誰一人として真面目に観ていない。

父も自分も紅白に出るような歌手に詳しくないし、祖母に至っては「最近の人は何を歌ってるんだかわかりゃしない。日本語に聴こえないねえ」とか言っている。

祖母が好むのは学童唱歌なので、最近の歌手のテンポやメロディに馴染めないのは当然といえば当然。

夕飯を食べた後はみんながそれぞれ風呂に入ったりみかんを食べたりして、自分は大体文庫本を読んでいる。

行く年来る年だけはちゃんと観る。

あの日本全国あちこちに節操無くカメラが飛んで行く感じが好きだ。

その後はさっさと寝てしまう。

翌朝は神社に初詣に行き、ついでに初日の出を拝んで来るのが毎年恒例になっている。


母と妹は母方の祖母宅で年を越す。

仲が悪いわけではないのだが、自分の大学受験を挟んでここ十年くらいは一緒に年越しをしていない。

父も母も、それぞれの親と一緒に年を越したいという気持ちはなんとなく理解できるように思う。

自分と妹は父と母に引っ張られる感じで、なんとなくそれぞれに分かれて年を越している。

テレビで紅白やらジャニーズの出る年越し番組を観て、妹はそのままバラエティやら音楽番組やらを朝方まで観ているようだ。


同じ家族でさえこんなにバラバラに過ごしている。

況んや他の家庭をや、というやつだ。

きっとそれぞれの家庭や個人でそれぞれ「これこそが我が家のスタンダード」とでも言うべき過ごし方があるんだろう。

そばを食べる人も居るだろう、年越しの瞬間からおせちを食べる人も居るかもしれない、除夜の鐘を撞こうと寒空に並んで居る人も居るだろう。

そう思うと、なんだか心の底がほんわりするような気がするのだ。