ちょっと最近、時間の流れが速すぎる

日々の雑談や本の感想などを書いていきます。

「これから調子悪くなりそう」ってときは「エビになる」に限る

あんまり病気になったことが無い

 

 

自分は元々体が弱い方ではなくて、子供のころからそんなに病気で大変だった覚えがない。

幼稚園の頃には水疱瘡になったり風邪をひいたりしたことがたびたびあったけど、小学校では一回インフルエンザに罹った以外では休んだことが無かった。

そのときも予防注射を打っていたからそんなに苦しいとは感じなかったし、タミフルを飲んだので症状自体は二日程度で収まったと思う。

本当のところタミフルを飲むのは、丁度そのころ「タミフルを飲んだ子供がベランダから飛び降りた」みたいなニュースがあったので怖かった。

しかし実際に飲んだら体がふわふわしてとても気分が良くなって、家の中を歩いているときも一歩一歩が何だか浮き上がるような感覚になったのを覚えている。

子供ながらに「こりゃあ飛び降りたくもなるな」と思った。

 

中学校、高校では確か一回も学校を休まなかったように記憶している。

考えてみると病気だけじゃなくて、ケガもほとんどしたことが無い。

ずっと運動部だったのにケガをしたことが無いのは多分、ケガしそうになると手を抜いてたからなんだろう。

別に安全な部活というわけじゃなくて、廻りの友達や先輩は普通に骨折やら捻挫やらのケガをしてたし。

 

大学に入ってからは生焼けの豚肉を食べて死にかけたくらいしか、まともな病気になった思い出が無い。

あの時は上からも下からも汚物が出てきて、さながら人間マーライオン状態であった。

あれ以来、焼肉屋で豚肉を食べる時は表面が焦げるくらい焼くようにしている。

 

ともあれ、自分は体が結構丈夫な方だったのだろうとは思う。

 

ヤバそうだったらとにかく「エビになる」のが一番

 

 

昔から親もこういう考えで、子供ながらに「何かだるい」と思ったらとりあえず寝ることにしていた。

自分は病気こそしなかったものの、小学校の頃はとにかく腹痛が頻繁に起こった。

美味しい料理を食べ過ぎると腹痛、学校で授業を受けていると腹痛、車に乗っているときに道に迷うと腹痛と、体の方も「何かマズかったらとりあえず腹痛になっとけ」みたいなノリだったのではないか。

ちなみに腹痛と言うのは本当に腹が痛いだけで、下痢も嘔吐もしなかった。

 

そういうときは親から「エビになってろ」と言われていて、その通りにしていた。

この「エビになる」というのは腹を抱える格好で横向きになって寝転がるということで、格好がエビのようだからこういう風に言っているのだろう。

不思議なことにこういう格好で寝ていると腹痛は知らないうちに収まっている。

血流がよくなるのか姿勢が安心感をもたらすのかはわからないが、自分にとってはこの姿勢を取ることが腹痛の特効薬であり、学校で腹痛になったときも椅子に座ったまま机に頭を載せてこの格好を取っていた。

この格好は腹痛以外でもそれなりに効果があって、なんか風邪っぽい時や頭が痛いときもこうしているとそのうちどうにかなっていた。

 

今でもよく「エビになる」

この考えは今でも変わらず、ちょっと「体調が悪くなりそう」と感じたらエビになって寝ている。

微妙な腹痛や下痢、なーんか頭が痛いような気がするときはとにかく、下宿のベッドでエビになっている。

この記事を書いている今日も、昨日の深夜に下痢を起こしてから昼頃までエビになって寝ていたのだ。

今はもう何ともなく、ダラダラとネットサーフィンをしている。

 

これまでの人生ではこうしてエビになることで窮地をしのいできたわけだが、社会人になったらどうなるのだろうとついつい考えてしまう。

仕事中に腹痛が来たら、果たしてエビになれるのか?

というか会社にも保健室的なものがあったりするのだろうか?

 

それに朝起きた時に「何か体調悪くなりそう」って感じたら、それが理由で休めるのかも重要だ。

こういうのは今現在体調が悪いわけじゃなく、あくまでも「このまま普通に生活したら体調悪くなるだろう」という予想である。

そういう理由でも病欠が取れるのか?

体調が悪いわけじゃないから診断書も何もないのだが、それでもどうにかなるものだろうか?

しかし無理に出勤して予想通り体調不良になったとき、「あのとき無理にでも休んでおくべきだった!」と後悔するのも癪だしなー。

 

あー憂鬱。

 

センター試験の思い出(四年前)

 

昨日今日とセンター試験が行われていたらしい。

この大雪の中で受験生の人達は大変だったろうなあと思うと同時に、そう言えば自分も四年前にセンター試験を受けていたんだったと思いだした。

あの時は多分雪も降ってなかったし、受験する場所が当時通っていた高校だったので微塵もアウェー感がなかった。

休憩時間も同じ教室で受験している知り合いとだらだら喋っていたし、高校は進学に命を懸けてるような校風でもなかったから、みんなあんまり緊張感もなかったような気がする。

ぶっちゃけ今年ダメだったら浪人でもするか―という感じだったんだろう。

今思えば非常に楽だったと感じる。

 

自分が受験した年は国語で例年通り謎問題が出題されて、「スピンスピンスピン、スピンアロット(spin spin spin, spin a lot)」「シイゼアガアル、アンゼアボオイ(see their girl, and their boy)」などと文中で唐突なカタカナ英文が現れたのには驚いた。

まあでも、問題自体は普通だったから大して影響はなかったように思う。

後は数学ⅠAの傾向が変わったかどうだかして予想より点数が取れなかったけど、そのかわりⅡBが楽だったから結果トントンだった。

知り合いの部屋では泣き出した女子が居たらしいけど、幸い自分の部屋には居なかった。

それ以外は特に覚えがないくらい普通の年だったと思う。

今年はどうだったんだろうなあ、どうせまた国語の問題で誰かが文句言ってたりするんだろう。

もはや風物詩だな。

雪が降っている中で引きこもっていると優越感を感じる

 

昨日の夜から「なんか雪降ってるなー」くらいのことは気づいてたんだけど、今朝起きたらちょっと引くくらいに雪が積もっていたから驚いた。

住んでる地方はそれほど雪が積もらない地域なので、雪が降ってもちゃんと積もるというのは珍しい。

大学に入ってからはこんなに積もったことなかったんじゃないだろうか。

雪の中を大学へ行った覚えがない。

 

こんな日には、高校時代に雪が積もった歩道を恐る恐る自転車を漕いで通学していたことを思い出す。

結構危ないことしてたな、自分。

今はもうそんな無茶をする気分にはあまりならない。

こけたら痛いし。

 

自分は雪が降ったり猛暑だったり、天候の厳しい時分には「将来は引きこもって暮らせるようになろう」と心に決めていたものだ。

大学生であるうちはある程度それが実現できていた、学校に行きたくなければ行かなければいいのだ。

そうやって自室に引きこもっているとき、まるで自分の相対的幸福指数が急上昇した気分になる。

他の人間たちが働いている間にのんびりしているだけでも自分の相対的幸福指数が上昇するのに、加えて彼らがこの悪天候で通勤通学を強いられているともなれば、相対的幸福は増加の一途をたどる。

思えば大学生になって一番よかったのは、自分の時間を自分の自由にできることだろう。

 

しかし四月から会社員になれば、そうもいかない。

「雪が積もってるのでいけません」なんて言おうものなら、次の出社日には周囲の痛い視線にさらされること間違いなし。

挨拶をしても返す同僚は無く、部署内で共有されている申し送り事項も自分にだけは伝えられない。

そうしていたたまれなくなった自分は自ら退職するという図式が見える。

恐ろしき哉、社会人。

 

自分は基本的にインドアな人間だから、外に出なければ心が死ぬなんて言うことは無い。

そうなれば、なるだけ家の外に出ないで生きられる方法を模索するべきだ。

しまったなー、大学生のうちに家の中でお金を稼げるようにしておくべきだった。

つくづく株やら不動産やらで不労所得が欲しい。

勉強してみようかな。

目標は三十歳までに会社を辞めるということで。