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ちょっと最近、時間の流れが速すぎる

日々の雑談や本の感想などを書いていきます。

法条遥「リアクト」感想   「リライト」の謎解き編?

 

法条遥の「リライト」から始まる四部作の三作目。

西暦3000年から1992年の日本にやってきたタイムパトロールのホタルは、2311年に失踪した科学者を追跡するのが使命だった。

その過程で岡部蛍という作家が著した小説「リライト」に興味を抱き、作中で同窓会が開かれた2002年へと向かうのだが……。

 

この作品は第一作の「リライト」が作中作の役割を果たしており、「リライト」という創作の内容を基にしながら現実に起きた1992年の事実について、ひいては2002年までの10年間に発生した事件についての謎解きを行うという趣向になっている。

「リライト」の中で語られていたことの一部が、改めて別の角度から眺めるとまた違った解釈になるという点が興味深かった。

一作の中にまとまってはいないものの、三津田信三の作品に出てくるどんでん返しのような印象を抱く。

また「リライト」では悪印象を与える描き方をされていた登場人物が、実は「リライト」の作者本人であったり、またある人物は完全な創作であり実在しなかったり、「リライト」を読んだ人ならとても面白く読める。

逆に、「リライト」を読んでいない人は読んでも意味がわからないし、「昔読んだけど内容忘れちゃったなー」という人ももう一度読み直すことをお勧めする。

 

これで法条遥の「リライト」シリーズも残すは「リライブ」のみ。

読んでいるとライトな文体に反して難解な内容なので、ページ数の割に時間を食ってしまうがやはり面白い。

「リライブ」も、一気に読んでしまおうと思う。

 

法条遥「リビジョン」感想 前作よりもさらにややこしい

 

「リライト」に続く四部作の二作目。

主人公である千秋霞は代々千秋家に伝わる鏡を使って、未来を見ることができる能力を持っていた。

1992年秋、霞の息子であるヤスヒコが一週間後に亡くなるビジョンを見た霞はその未来を変えようと奔走するが、霞が行動を変えたことによって過去改変が発生してしまい、さらにヤスヒコが亡くなる運命からも逃れられない。

霞はたとえどのような過去改変が起きようとも、愛する息子ヤスヒコを救うと決意し、夫の邦彦と共に時間のルールに挑む。

 

いやあ、母は強しとは言ったものの、ここまで一途に強い母親は傍から見れば狂気と紙一重なところがある。

読んでて色々とぞっとさせられたし、同時に霞に感情移入してしまう部分もあって、読んでて面白かった。

読み進めるうちにだんだんと霞と邦彦の出会い、またヤスヒコの出生に関しての違和感が増していき、その伏線が最後に回収されるという展開は「リライト」に似たものを感じた。

 

そして「リライト」同様、この作品もとにかくややこしい話になっている。

まず霞が行動を変えることによってなぜ、過去が変わってしまうのかという点。

ここがややこしい。

冒頭で霞はビジョンの力によって未来を見て、発熱したヤスヒコを最初に連れていく病院を変える。

それによって最初にヤスヒコを連れて云った病院が別の病院(歯科医)に変わり、さらには病院で診療した医師の職業まで変化してしまう。

これは医師の過去から改変されているということになり、霞の行動によって発生する改変が非常に大きな影響を与えることが読者に示される。

読み進めている最中には頭が混乱して、何が何やらわからなくなってくる。

 

しかしこの過去改変の理由がヤスヒコにあるらしいということがわかると、この点が若干理解しやすくなってくる。

とにかくヤスヒコの存在が不都合なものであり、それによって過剰なまでの過去改変が起きているのだろうと判明してくるのだ。

そして物語はヤスヒコの出生、霞と千秋の馴れ初めへと向かっていくのである。

物語自体は夫婦と息子の中で繰り広げられるのに、前回の「リライト」よりもさらに話のスケールが壮大になっている。

 

この作品は「リライト」と不可分に絡み合っている部分もあり、「リライト」を読んでいないと理解できない部分も多いだろうと思う。

「リライト」の主要人物である保彦と「リビジョン」でのヤスヒコとの関係も、「リライト」を読んでいなければわからない。

というか、「リライト」「リビジョン」だけを読んでもまだよくわからない。

全四部作であるから、残りの二作品も併せて読まなければ理解はできないのだろう。

残りは「リアクト」「リライブ」の二作であるが、この風呂敷がどのように畳まれるのかにはとても興味がわいてくる。

 

「これから調子悪くなりそう」ってときは「エビになる」に限る

あんまり病気になったことが無い

 

 

自分は元々体が弱い方ではなくて、子供のころからそんなに病気で大変だった覚えがない。

幼稚園の頃には水疱瘡になったり風邪をひいたりしたことがたびたびあったけど、小学校では一回インフルエンザに罹った以外では休んだことが無かった。

そのときも予防注射を打っていたからそんなに苦しいとは感じなかったし、タミフルを飲んだので症状自体は二日程度で収まったと思う。

本当のところタミフルを飲むのは、丁度そのころ「タミフルを飲んだ子供がベランダから飛び降りた」みたいなニュースがあったので怖かった。

しかし実際に飲んだら体がふわふわしてとても気分が良くなって、家の中を歩いているときも一歩一歩が何だか浮き上がるような感覚になったのを覚えている。

子供ながらに「こりゃあ飛び降りたくもなるな」と思った。

 

中学校、高校では確か一回も学校を休まなかったように記憶している。

考えてみると病気だけじゃなくて、ケガもほとんどしたことが無い。

ずっと運動部だったのにケガをしたことが無いのは多分、ケガしそうになると手を抜いてたからなんだろう。

別に安全な部活というわけじゃなくて、廻りの友達や先輩は普通に骨折やら捻挫やらのケガをしてたし。

 

大学に入ってからは生焼けの豚肉を食べて死にかけたくらいしか、まともな病気になった思い出が無い。

あの時は上からも下からも汚物が出てきて、さながら人間マーライオン状態であった。

あれ以来、焼肉屋で豚肉を食べる時は表面が焦げるくらい焼くようにしている。

 

ともあれ、自分は体が結構丈夫な方だったのだろうとは思う。

 

ヤバそうだったらとにかく「エビになる」のが一番

 

 

昔から親もこういう考えで、子供ながらに「何かだるい」と思ったらとりあえず寝ることにしていた。

自分は病気こそしなかったものの、小学校の頃はとにかく腹痛が頻繁に起こった。

美味しい料理を食べ過ぎると腹痛、学校で授業を受けていると腹痛、車に乗っているときに道に迷うと腹痛と、体の方も「何かマズかったらとりあえず腹痛になっとけ」みたいなノリだったのではないか。

ちなみに腹痛と言うのは本当に腹が痛いだけで、下痢も嘔吐もしなかった。

 

そういうときは親から「エビになってろ」と言われていて、その通りにしていた。

この「エビになる」というのは腹を抱える格好で横向きになって寝転がるということで、格好がエビのようだからこういう風に言っているのだろう。

不思議なことにこういう格好で寝ていると腹痛は知らないうちに収まっている。

血流がよくなるのか姿勢が安心感をもたらすのかはわからないが、自分にとってはこの姿勢を取ることが腹痛の特効薬であり、学校で腹痛になったときも椅子に座ったまま机に頭を載せてこの格好を取っていた。

この格好は腹痛以外でもそれなりに効果があって、なんか風邪っぽい時や頭が痛いときもこうしているとそのうちどうにかなっていた。

 

今でもよく「エビになる」

この考えは今でも変わらず、ちょっと「体調が悪くなりそう」と感じたらエビになって寝ている。

微妙な腹痛や下痢、なーんか頭が痛いような気がするときはとにかく、下宿のベッドでエビになっている。

この記事を書いている今日も、昨日の深夜に下痢を起こしてから昼頃までエビになって寝ていたのだ。

今はもう何ともなく、ダラダラとネットサーフィンをしている。

 

これまでの人生ではこうしてエビになることで窮地をしのいできたわけだが、社会人になったらどうなるのだろうとついつい考えてしまう。

仕事中に腹痛が来たら、果たしてエビになれるのか?

というか会社にも保健室的なものがあったりするのだろうか?

 

それに朝起きた時に「何か体調悪くなりそう」って感じたら、それが理由で休めるのかも重要だ。

こういうのは今現在体調が悪いわけじゃなく、あくまでも「このまま普通に生活したら体調悪くなるだろう」という予想である。

そういう理由でも病欠が取れるのか?

体調が悪いわけじゃないから診断書も何もないのだが、それでもどうにかなるものだろうか?

しかし無理に出勤して予想通り体調不良になったとき、「あのとき無理にでも休んでおくべきだった!」と後悔するのも癪だしなー。

 

あー憂鬱。